
日記、ラップとは何か考えた
サッカーを見るためにわざわざ4時半くらいに起きた、早すぎだわ、だが夏至なので仕方ない
サッカーのゲームをやったせいで選手の能力値みたいのが何となく分かる。
帰りの会(団体)というのを思いつく
使い道は2つあって、猫長のどぶろく3組でネタとして使う
帰りの会で女子にちくられて、帰りの会(団体)に入れられる
もう一つはやはりラウンジア2であろう
七曜会とほぼ同じ使われ方をする、世界を帰す帰りの会なのだ
朝の会は不明。
昨日寝る時にラップとは何か考えた
自分は非常にラップというものの良さが分からないのである
低いとこで早口で、メロディとか関係ないような感じで歌うのでなくラップをする
なかなか良さが分からぬ
だが逆に111は普通の音楽の良さがいまいちよくわからないのだがラップはかなり好む
それはどういうことなのかという疑問があった。
まあ111だから嗜好と思考が変でもおかしくないのだが、変だからで
片付けずに考えた。
111というのは非常に滑舌が悪く、さらにまともに人と話したりコミニケーションを
取るのが苦手だと本人が言っている。
これがラップに憧れたり利用しようとしたり、共感する下地になってると思った
ラップというのはどうやら発生的に
コミニケーションが取れない同士→争う→殺しあう。
というのを回避するために、ラップに載せて言いたいことを言う、でぃするという文化なのだという
コミニケーションが取れない→ラップでコミニケーションをとる、というものらしい
なので低く威圧的な歌い方となり、コミニケーションがとりにくい111がコミニケーションする為にラップを必要とするのは
当然なのだ
個人的には、なんでわざわざ個人的などうでもいいような不満みたいのばかりラップの歌詞に
するのかと思っていたが、自分の意見の発露ということなのだ。
そうなると逆に、ラップではない普通の曲の歌ってなんやねんと思った
ラジオ深夜便みたいな番組を聞いてると昔の曲が流れてて
それこそ美空ひばりくらいの時代の曲が流れてるのだが、なんか
楽器の数がけっこう少ないんですよね
今の曲とかボカロ曲で有名じゃないのとかでも、ものすごく楽器の数を増やして
音を厚くしてるのだが、昔の曲は楽器編成の数が少なくて4つくらいで
人が歌ってる歌が通って聞こえる
通るというか人が歌う部分しか聞くとこないから聞くんだけど
なんか、シンプルな分だけ、歌というか曲って感じがする。
だから今以上に昔が歌手の歌唱力とかに敏感だったり厳しかったりするのは納得出来ると思った
新しくなってくると、どんどん音が厚くなって、人間の歌なんかパーツの一つでしかないから
全然重要じゃなくて、下手な人でも歌手になれる。
それで納得したのがボカロなんだ、あれを使えばどんな早い言葉でも、難しい旋律でもできる
ほとんど楽器なんだわ、実際そういう曲は多い
やっぱ音が厚くなった時代から歌ってのがどんどん変化して、なんであんなにメロディが乱高下したり
ラップ以上に無意味で薄い歌詞とかつけて、歌う行為になってんだとか思ったが
もう、歌じゃなくて単に楽器パートの一つになったんだよなと思った
このままいくと、ビートボックスになる。
じゃあラップて何だと考えたんだが、ラップの曲の音(ビート)もものすごく厚い音で
かなり音が重なって作られてるんだけど、ラップはそのビートをほぼ無視して
メロディとか関係なしに、明らかに楽器とは違うぞ、意見を言ってんだぞという感じで
低音のとこで言ってんだわ。
だから、ラップてのは歌の延長線上にあるというか、歌が単なる楽器パートの一つに
成り下がるのに反するように出てきたんじゃないかと考えた。
サッカーのゲームをやったせいで選手の能力値みたいのが何となく分かる。
帰りの会(団体)というのを思いつく
使い道は2つあって、猫長のどぶろく3組でネタとして使う
帰りの会で女子にちくられて、帰りの会(団体)に入れられる
もう一つはやはりラウンジア2であろう
七曜会とほぼ同じ使われ方をする、世界を帰す帰りの会なのだ
朝の会は不明。
昨日寝る時にラップとは何か考えた
自分は非常にラップというものの良さが分からないのである
低いとこで早口で、メロディとか関係ないような感じで歌うのでなくラップをする
なかなか良さが分からぬ
だが逆に111は普通の音楽の良さがいまいちよくわからないのだがラップはかなり好む
それはどういうことなのかという疑問があった。
まあ111だから嗜好と思考が変でもおかしくないのだが、変だからで
片付けずに考えた。
111というのは非常に滑舌が悪く、さらにまともに人と話したりコミニケーションを
取るのが苦手だと本人が言っている。
これがラップに憧れたり利用しようとしたり、共感する下地になってると思った
ラップというのはどうやら発生的に
コミニケーションが取れない同士→争う→殺しあう。
というのを回避するために、ラップに載せて言いたいことを言う、でぃするという文化なのだという
コミニケーションが取れない→ラップでコミニケーションをとる、というものらしい
なので低く威圧的な歌い方となり、コミニケーションがとりにくい111がコミニケーションする為にラップを必要とするのは
当然なのだ
個人的には、なんでわざわざ個人的などうでもいいような不満みたいのばかりラップの歌詞に
するのかと思っていたが、自分の意見の発露ということなのだ。
そうなると逆に、ラップではない普通の曲の歌ってなんやねんと思った
ラジオ深夜便みたいな番組を聞いてると昔の曲が流れてて
それこそ美空ひばりくらいの時代の曲が流れてるのだが、なんか
楽器の数がけっこう少ないんですよね
今の曲とかボカロ曲で有名じゃないのとかでも、ものすごく楽器の数を増やして
音を厚くしてるのだが、昔の曲は楽器編成の数が少なくて4つくらいで
人が歌ってる歌が通って聞こえる
通るというか人が歌う部分しか聞くとこないから聞くんだけど
なんか、シンプルな分だけ、歌というか曲って感じがする。
だから今以上に昔が歌手の歌唱力とかに敏感だったり厳しかったりするのは納得出来ると思った
新しくなってくると、どんどん音が厚くなって、人間の歌なんかパーツの一つでしかないから
全然重要じゃなくて、下手な人でも歌手になれる。
それで納得したのがボカロなんだ、あれを使えばどんな早い言葉でも、難しい旋律でもできる
ほとんど楽器なんだわ、実際そういう曲は多い
やっぱ音が厚くなった時代から歌ってのがどんどん変化して、なんであんなにメロディが乱高下したり
ラップ以上に無意味で薄い歌詞とかつけて、歌う行為になってんだとか思ったが
もう、歌じゃなくて単に楽器パートの一つになったんだよなと思った
このままいくと、ビートボックスになる。
じゃあラップて何だと考えたんだが、ラップの曲の音(ビート)もものすごく厚い音で
かなり音が重なって作られてるんだけど、ラップはそのビートをほぼ無視して
メロディとか関係なしに、明らかに楽器とは違うぞ、意見を言ってんだぞという感じで
低音のとこで言ってんだわ。
だから、ラップてのは歌の延長線上にあるというか、歌が単なる楽器パートの一つに
成り下がるのに反するように出てきたんじゃないかと考えた。