
日記、正気に戻るようなきがしなくもなくもなくもない
ドラッカー・コレクション 珠玉の水墨画
「マネジメントの父」が愛した日本の美
というのが千葉市美術館でやっていたので見に行ったものだわ
http://www.ccma-net.jp/exhibition_end/2015/0519/0519.html
NHKの日曜日美術館とかでもこないだやってたので知ってる人は知ってるかもしれない。
ドラッカーはもしドラのせいでろくでもない人なのかと思っていたがそうではない
経営学のその筋のバリバリの教授なのだが、日本の文人画(絵の素人の文人が書き始めたのが起源の水墨画のジャンル)を
なんだこれ、なんかええやんと思って集めだして、これどういうものなのか研究して下さいと
美術史の研究者に写真を送ったりして、鑑定団的な事を頼んでたらしい。
そんでやはり高いレベルのことをやってるからか、有名なものの他にも
鑑識眼があるので伊藤若冲とか、作者不明のものも集められたぽい。
初期のコレクションにはなんだこれは、まったくうまくないじゃないか
自分の下手な癖に似たダメさが出た、全体のバランスも悪い神社を描いたようなのがあって
何だと思ったが、もともと長いものの一部のコレクションだ、みたいなものもあった。
文人画にもいろいろあるというのが、見てると分かってくる
ものすごくリアルな鷹を描いたものもあれば、半分モグラみたいになった奇っ怪なウサギや
足が極端細い水牛、淫夢くんと化したテナガザル
極端にわけのわからない崖の下に家とか。
単純に描かれたようなものから、描かれたもの以上の圧を受ける
とくに何も書かれていない部分の空間から受けることもある
壁に書かれたドラッカーのトポロジーが何たらとか書いてあるよく分からない文章は
そのことを言ってるのだろう。
現代でも水墨画的なものをフレーバーだとか、リミックスの材料的に使ったりするが
基本的に的はずれなんだということが分かった。
そして、霧の風景画みたいなのを見たら何かわかったような気がしたのが、全部描かなくてええのだということだった。
濃霧なのかその風景画は、遠景に山、山と家、そして画面中程に橋、手前に森と人物、更に手前の木
というような配置になっていて、それぞれが紙にすべてがシームレスにつながっているのでは無く
わりと独立して配置されているのだが、むろん遠近法なので、それぞれの物との描かれ方のサイズ感が
ものすごく心地よいのだ。
そして見えるものすべてを描くことよりも、その風景画理解できる気がした。
そう思ったら、このドラッカーが集めているものはその観点から見て
理解できる作品なのが分かった。
具体的に何がすごい描き込まれるのではなく、それを受け取った脳内の印象が大事だと
それで、ドラッカーがこういう作品をみると、正気に戻った感じがすると言っていたのだが
なるほどなあと思った。
だから、なんか厚塗りのCG教本のあのやつとかあんまピンとこなかったりするのとか
リアルすごいだろゲーよりも(主にレースゲームと戦争系)、雰囲気ゲーの方が興味が出るのだと思った。
「マネジメントの父」が愛した日本の美
というのが千葉市美術館でやっていたので見に行ったものだわ
http://www.ccma-net.jp/exhibition_end/2015/0519/0519.html
NHKの日曜日美術館とかでもこないだやってたので知ってる人は知ってるかもしれない。
ドラッカーはもしドラのせいでろくでもない人なのかと思っていたがそうではない
経営学のその筋のバリバリの教授なのだが、日本の文人画(絵の素人の文人が書き始めたのが起源の水墨画のジャンル)を
なんだこれ、なんかええやんと思って集めだして、これどういうものなのか研究して下さいと
美術史の研究者に写真を送ったりして、鑑定団的な事を頼んでたらしい。
そんでやはり高いレベルのことをやってるからか、有名なものの他にも
鑑識眼があるので伊藤若冲とか、作者不明のものも集められたぽい。
初期のコレクションにはなんだこれは、まったくうまくないじゃないか
自分の下手な癖に似たダメさが出た、全体のバランスも悪い神社を描いたようなのがあって
何だと思ったが、もともと長いものの一部のコレクションだ、みたいなものもあった。
文人画にもいろいろあるというのが、見てると分かってくる
ものすごくリアルな鷹を描いたものもあれば、半分モグラみたいになった奇っ怪なウサギや
足が極端細い水牛、淫夢くんと化したテナガザル
極端にわけのわからない崖の下に家とか。
単純に描かれたようなものから、描かれたもの以上の圧を受ける
とくに何も書かれていない部分の空間から受けることもある
壁に書かれたドラッカーのトポロジーが何たらとか書いてあるよく分からない文章は
そのことを言ってるのだろう。
現代でも水墨画的なものをフレーバーだとか、リミックスの材料的に使ったりするが
基本的に的はずれなんだということが分かった。
そして、霧の風景画みたいなのを見たら何かわかったような気がしたのが、全部描かなくてええのだということだった。
濃霧なのかその風景画は、遠景に山、山と家、そして画面中程に橋、手前に森と人物、更に手前の木
というような配置になっていて、それぞれが紙にすべてがシームレスにつながっているのでは無く
わりと独立して配置されているのだが、むろん遠近法なので、それぞれの物との描かれ方のサイズ感が
ものすごく心地よいのだ。
そして見えるものすべてを描くことよりも、その風景画理解できる気がした。
そう思ったら、このドラッカーが集めているものはその観点から見て
理解できる作品なのが分かった。
具体的に何がすごい描き込まれるのではなく、それを受け取った脳内の印象が大事だと
それで、ドラッカーがこういう作品をみると、正気に戻った感じがすると言っていたのだが
なるほどなあと思った。
だから、なんか厚塗りのCG教本のあのやつとかあんまピンとこなかったりするのとか
リアルすごいだろゲーよりも(主にレースゲームと戦争系)、雰囲気ゲーの方が興味が出るのだと思った。